訪問看護師として地域医療の最前線で戦う!病気だけでなく、1人の人生に向き合うサービスを提供【KISA2隊 秋田】

秋田県由利本荘市で「ごてんまり訪問看護ステーション」を運営している藤沢看護師。病院で勤務していく中で、病気だけに向き合うのではなく患者さんの生活や思いに寄り添った支援にやりがいを見出し、地域で活躍できる訪問看護ステーションの創業を決意したとの事です。

創業時から変わらぬ思いで、地域の一員として「安心して自分らしい暮らし」ができるようサポートを継続している、藤沢看護師にお話を伺いました。

藤沢 武秀 看護師 / 合同会社AddCare(アドケア) 代表(秋田県由利本荘市)

社会人経験後、看護学校に入学し、准看護師を経て正看護師免許を取得。国立病院機構で管理職を勤めたのちに、起業して訪問看護ステーションを立ち上げる。
現在は訪問看護ステーション3ヶ所と訪問看護サテライト2ヶ所を運営しながら、47名のスタッフと共にフレイル予防から疾患回復に向けたリハビリまで幅広く対応している。

医療の道への転身と訪問看護への志 – 病気とだけではなく、一人の人間に対して支援をしていきたい

私が看護師の資格をとったのは20代半ばの頃。その前は東京で配管工をしていたのですが、労働環境の悪さを見かねた姉に「医者か医療職を目指したら?」と言われたのです。手に職をつけて秋田に帰ることができたらいいなと思ったものの、医者はさすがに難しそうだったので、看護師に挑戦しました。

生活のために働く必要があったので、看護助手でバイトをしながら2年制の夜間学校の准看護師を選択したんです。准看護師の資格を取得後、看護助手の仕事を継続しながら正看護師の夜間学校に3年通って、5年かけて正看護師の免許を取得しました。

その後、大病院で16年間働いて感じたのは、自分が患者さんのために「こうしてあげたいな」と思っても、即実行に移すのは難しいという事。組織にこだわらず、もっと地域のために働ける仕事をしたい、と思ったのが訪問看護を立ち上げるきっかけでした。

印象的なエピソードがあります。ある筋ジストロフィの患者さんが「僕は35歳になったんだけど、一生女性と関係なく終わるんだよね。」って言ったんです。

私はただの医療職であって、その人の人生そのものに何か言える立場ではないのに、気になってしまって。職員としてではなく完全にボランティアとしてなのですが、何かできる事はないかと、秋田のいろんな風俗に電話したんです。

ほぼ全て断られてしまったのですが、1人だけ「自分の兄弟に同じような難病の人がいて、私だったら受け入れますよ」と言ってくれた風俗嬢がいました。そこで、同じ病院の男性スタッフに手伝ってもらいながら患者さんを現地までお連れして、サービスを受けてもらったらとても喜んでくれました。

この経験を通じて、病棟という枠の中だけで病気に向き合うのではなく、一人の人間に対して何か支援したいという自分の気持ちに気づき、訪問看護を始める決意をしました。

訪問看護事業の立ち上げと谷合先生との出会い – 入院できない人があふれたら、俺らで何とかしよう!

事業の立ち上げ当初は岩手県のステーションに研修に行かせてもらい、平成31年2月に法人格を取得、同年5月に訪問看護を開業しました。

そこまでは良かったんですけど、初回利用者さんが全く来ないし、どこからも電話がかかってこない。ケアマネが大事なのにそういうのも知らないまま、医師ばかりに挨拶に行っていました。

たまたま仕事を依頼してくれたケアマネさんが、そんな私に手を差し伸べてくれ、訪問看護のイロハを1から学ばせてくれたんです。利用者さんもいないし時間はたっぷりあったので、そのケアマネさんとウマもあい、とにかくなんでも聞いて学んで、そこから軌道に乗るようになりました。

この頃、KISA2隊秋田の谷合先生との出会いがありました。同じ由利本荘市内と言うことで、もしよければ地域連携の集まりに参加してみない?と声をかけてくださり、交流が始まりました。

その後、2020年の秋くらいだったと思いますが、谷合先生が突然「KISA2隊って知ってる?」と聞いてきたので「アニメですか?」と返したら違うと。そういう名前のコロナの対策チームが関西にあるので、情報収集してうちもそういう活動ができればいいなと思っている、と教えてくれたのが、最初にKISA2隊を知ったきっかけです。

コロナが流行り出した時、谷合先生はいち早く関東の動きを見ていて、秋田の動きはこうなるんじゃないかっていう読みを持ってたんです。

谷合先生が「由利本荘市内で中核病院の総合病院が動けなくなった時、絶対に入院できない人があふれる。そうなった時に誰が見る?俺らしかいないよね」とおっしゃったので、もう、それは本当にその通りだと思いました。

他の訪看さんはどこも手をあげなかったので「うちが行きます」と名乗り出ました。スタッフに対しては、賛同できる人だけでいいよっていうスタンスで始めたのですが、結局みんなついて来てくれました。

KIA2隊として在宅サポート開始、KISA2隊スキームと訪問リハを取り入れて、フレイルを抑え込む

KIA2隊としての最初の活動は、施設に入る前にショートステイから退去を言い渡された方でした。コロナに感染していたのに出て行ってくださいと言われて、数ヶ月ぶりに家に帰らされる。突然、今日感染したから今日退去と言われてもご家族も対応できない。

居宅でどうやってゾーニングしようか考えていたんですけど、秋田の昔からある家ってとても広いんですよ。廊下に離れがあったりするんで、これって病棟みたいな対応できるんじゃないかと考えて、防護服や家族用のN95マスクや水分・補助食的なのを谷合先生が負担してくれたのを居宅に持参して、自宅で隔離生活を送ってもらいました。

毎日看護師が訪問して、点滴対応などしていました。最終的に2週間程度在宅で過ごしてもらったのですが、私たちはもちろん家族への感染もなく終わりました。ちゃんと家族もPPE対応してくれて、感染者にお食事持ってくとか対応してくれました。

第7、8波の頃にはだいぶ慣れてきて、どういうスキームが必要なのかはわかってきて、ゾーニングや多職種連携など看護の支援は見えてきたんですよね。そんな中でリハビリも導入できたのは大きかったと思います。

呼吸リハが必要な人に対して、今まで入れなかったんですよね。コロナの患者さんだとリハビリすらも入れないことが多いのですが、そこをリハビリの先生に短時間ではあるけど、在宅酸素が必要な人にも対応できて、一定の効果があったのが嬉しかったですね。うちのスタッフの作業療法士、理学療法士の先生合計3人に入ってもらいました。

社内でPPEの装着とか、KIA2隊のベースやシステムはしっかりレクチャーしていましたが、感染リスクがある中で、コロナ禍のフレイルを抑えたい・予防したい、という強い気持ちを持ったスタッフが多かったことに助けられました。

アフターコロナの地域医療 – 自分の住んでいる地域で自分のスキルを活かすことを通じ、自分の未来を広げる

大阪から支援をいただいたこと、とても心強かったです。最初、秋田県内ではコロナに対してすごく怯えてしまって、恐怖を感じてしまっている施設が多かったので。KISA2隊から勉強させてもらったスキームを継承しつつ、リハの導入はどうだろう、自分たちでできることってなんだろう、って模索しながら活動していました。

私はJMAT隊員でもあるんですけど、JMATは政府の公認があって、政府とJMAT隊員がいる病院、それを総括して政府と結びついてるんですよね。もちろんそれも大事だと思うのですが、強く地域と結びつくKISA2隊っていうのがあれば、コロナが終息して終わりではなく、何か大災害が起きて人が困った時に、地域の人がKISA2隊があるから安心って思ってもらえるような存在になったらいいなと思います。

あと、KISA2隊は思ったほど敷居は高くないですよ!という点もお伝えしたい。どんな質問でも答えてくれるし、それがコロナのことじゃなくてもいいんだよ、という雰囲気はすごく心強かったです。

これから入りたいけど悩んでる人は、医療職介護職の自分のスキルが高いとか低いとかを気にするのではなく、自分の住んでいる地域に、もしかしたら自分のスキルを活かすことができるかもしれない。そういう未来が広がる1つの選択肢として、自分の未来に繋がると思って一歩踏み出してもらえればと思います。

藤沢さんと奥さま


藤沢さん、本日はありがとうございました!

藤沢看護師 / 施設情報

施設名: ごてんまり訪問看護ステーション
所在地: 秋田県由利本荘市岩城内道川字井戸ノ沢84-120

電話: 0184-73-3828
FAX: 0184-74-4123
HPhttps://www.addcare-ns.com